極私的富山サンダーバーズ(他あれこれ)偏愛日記

私設応援団メンバーによる富山サンダーバーズファンブログ。他個人的な趣味の世界あり。

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安全と安心。

 今日は、町内の秋のバスハイクに参加した。例年スルーしてたんだが、今年は北陸電力企画の志賀原子力発電所見学ツアー+懇親会ということだったので、好奇心からつい。

 今から3年前、東日本大震災の年の7月。大飯での福井戦開催にあわせて今話題の?原発でもというノリで行ったときにはとてもそんな雰囲気ではなかった。発電所本体からは(たぶん)遠く離れてる入場ゲートはKeepOutの黄色いテープが縦横に張られたバリケードで封鎖され、ふもとの運動公園横の芝生広場にはいかにもサヨク的反対運動っぽい看板・横断幕(いわゆるかなクギ文字というやつだ)と立てこもり・居座り組みのテントが何張も。

 まずはアリス館志賀なる子供だまし(失礼だがそうとしか映らなかった)施設で映像を見ながら簡単なレクチャーを受けた後原電本体へ。もちろん今日はツアーなので至極簡単に(もちろんバスに警備員が乗り込んで簡単な手荷物検査くらいはあったが、セレモニー的だった)入場。発電所全体を見渡せる展望施設で…そんなところがあって、見渡せるくらい広大・巨大なのだ…全体レイアウトを説明後、バスで構内道路を周回しながら施設説明。間近へ行くともう笑っちゃうくらい巨大な施設。原子炉建屋で発生させた水蒸気をタービン建屋へ送ってそこでタービンを回して発電機を回して電気を作る、わけだがそのタービン建屋フロアだけでたぶんサッカー場一面分くらいはある。何もかもが、あきれるくらいに巨大。400人が働いてるという事務所棟ビルがこじんまりと見えるくらい。

 先のレクチャーでも、構内見学でも、説明の女性ガイドが逐一説明する。当然、いかに安全に運用されるべく準備されているか(いまは無論休止中だ)、特に福島の事故を受けての対策を重点的に。そのPR活動をするための一環としての格安ツアーなのだから。もう地震(プレート型・断層起因直下型いずれでも)だろうが津波だろうが台風だろうが竜巻だろうが火山の噴火だろうが近隣の大規模な山火事だろうがなんでもこい。何がきてもこれなら対応できる!…ということだ。
 自分もそうだが、日頃仕事で生産管理・安全管理(リスクアセスメント等)をやってる人ならわかってもらえるだろう。爪の先ほどの予測リスクに対しても、これでもか!というくらいにふんだんに資金を投下して設備・対策した状態がいかに凄まじいものか。「ここまでやればもうやることはないです。最強水準の安全対策を実施してます」というのを具体化した姿には、ある種の執念すら感じるくらい。

 結論。日本全国の生産施設(ここだって電気の生産施設だ)でここ以上に「安全」な施設はない。何らかの事態がここで起こって、そこにいる人の命が失われるような可能性・リスクは限りなく低い。ここのリスクを恐れるくらいならクルマの運転によって命を落とすリスクは至近で殺虫剤まかれる蚊位に危険極まりないものだ。…あくまで設備上は。

 「安全」はある種の数字・確率論で割り出せるものだ(保険料率というのはそうしてはじきだされてるわけだし)。その意味では確かにここは過度なまでの安全性が追求されている。ただ「安心」というのは数字で出るものではない。不確定なものであるしある種感情的なものである。今の反原発はまさに感情・好き嫌いだけで論じられてると言ってもいいと思う。
 意図してかせずにかは知らないが、今回の説明で全くなされなかったのは、ヒューマンエラーに対する備えだ。もらってきたパンフを見渡しても、起こってしまった事態に対する対応・準備はこと細かく書いてあるのに、それがない。そんなに人間って信頼できるものなのか?仕事で横展されてくる事故事例の大半がヒューマンエラーだ。「そりゃそんなバカなことすりゃケガするわ!」ってやつだ。先に極端な例で書いたけど、クルマの運転だってどんなに自分がちゃんとしててもいわゆる「もらい事故」があるし(そもそも世の中には酒を飲んだりドラッグやって運転するバカがあとを絶たないし)。そんなレベルの低い話はとうの昔に対策済み、出来てて当然だからということなんだろうが、そこの説明をちゃんとしない、そんな小さな綻びから「安心」感が揺らぐのだ。
 そして、使用済みの核燃料処理をどうするのか?という話は全くなかった。今の原電の再稼動に当たって一番行き当たる問題がそれであるにもかかわらず。説明役のおねえちゃんでは荷が重かっただろうとは思うが、少なくとも僕が原電維持をもろ手を挙げて賛成できない理由はそこがクリアにならないからだ。重要技術ゆえのブラックボックスが多いのは確かなのだろうが(そもそも解決できていない話だろうし)。やはり一番の問題は、情報の透明性なのだ。「安全」を強調する以上に、住民に「安心」を与えることがまずは最優先にされるべきなのではないのか?

 100%の安全なんてこの世に存在しない(ウチの安全大会は必ずこの言葉で締める)。それは厳然たる事実だ。この施設が極めて100%に近い安全性を追求してるというのはよくわかった。でも、もし何かあれば、いまの福島を見ればわかるように半径少なくとも5km圏内はほぼ永遠に人が住めない(少なくとも進んで住もうとは思えない)場所になってしまう、残念ながらそれも事実なのだ。そういう施設なのだ。
 おそらくそう遠くない時期に、この原電の再稼動が取りざたされるだろう(既に申請済みで審査待ちなのだそうだ)。実対策上素人目には遺漏なく思えるし(これ以上何をやったらいいの?くらいに)、現政権は再稼動に積極的だから地元自治体の合意があれば再稼動されることだろう。繰り返し書くが、「安全」追求は当然だが同時に「安心」感を与える努力は忘れないで欲しい。たとえそれが感情的になった、思想的に片寄って聞く耳を持とうともしない相手に対してであっても。

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プロ野球独立リーグ・富山サンダーバーズ私設応援団トランペット吹き。クラシック音楽・コミック好きのライトヲタ。

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